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足りなさを感じるとき

たとえば幸せ下手な人がいます。
素直に幸せに浸ればいいのに(これ以上幸せになってはいけない…)と、自らでセーブしてしまいがちな人。
求めているのに手を伸ばすことを諦めている人は、気持ちをぎゅっと抑えているから、いつもどこかが欠けていて淋しさを感じてしまいます。

足りない…。

あなたは満たされていますか?
どこか足りないと感じつつ過ごしていますか?

夢を諦めている人は、自分の才能を信じていません。
今の仕事に満足できていない人は、力の無さを恨みがちです。
お金に困っている人は、自分だけがなぜこんなに苦しいの?と運を羨みます。
愛を求めている人は、私は愛されていない!と嘆きます。

そして、厄介なこの感覚は、嫉妬、嘆き、悲しみ、エゴ、無力など様々な感情を生み出していくのです。

なぜ私たちは何に対しても足りないと感じがちなのでしょう。
答えは簡単。

“私はそれに値しない人だから”という思い込みがベースにあるからです。

人間は不思議な生き物で、求め続けながら生きていきます。
一定の所にずっと留まっていることは難しいのです。
ですから、ある意味でもっと…と追い求めるのは当然のことといえるでしょう。

けれども、その理由は‘足りない’からではないのです。

だいたい私たちは欠けた箇所を埋めるために探求し続けているのではないのです。
その先をその奥をもっと知りたくて、ただ旅をしているのです。

何かを求めようと思ったときに、同時に自己否定が見られた時は、要らない感情を外していきましょう。

「自分はこんなにダメな人間かもしれない。でも、それなりに一生懸命生きている。だからダメなりにも認めてあげよう」

何度でも心のなかで唱えるのです。
自分に対するこの肯定的な思いが‘足りない’という囚われた錯覚を正常に戻してくれます。
どんな自分であっても、否定せずに認めてあげることから始めることです。
その上で、なりたい自分に少しでも近づけられるように工夫をして動いてみればいいのです。

才能が無い人などいません。もしあなたの才能がどんなに努力しても発揮されないときは、それは進むべき方向がきっと違うのです。
愛が足りないと思って捜し求めている人は、まず自分の中に溢れる愛を発見することから始めてみてください。

向上心から来る、もっと…という感情と
自己否定から来る、もっと…という感情は似て非なるものです。

自分が等身大の自分をしっかり見つめ、認められたとき、足りないものなど本当は何も無かったことに気づくことでしょう。

Chie

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