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誰かを許したいとき

私たちが苦手とする行為の一つに、許すことがあるような気がします。

私たちは、もともと完全な光として生まれてきました。
そこには損得という駆け引きはなく
誰かを裁こうともせず
ただ、[ここに在る]ことだけでした。
それで全ては完璧であることを知っていました。

けれども、体験を積み重ねていくうちに、いつの間にか、不完全な心と共に生きることを覚えてしまったのです。

不完全な心、その一つに許すことが出来ずにいる心があるのです。

これさえ出来れば、どんなに自分も楽になる事だろう…。
頭ではわかっていても、それをするのは大変難しいことです。

なぜなら、あの人は勝手に私の領域に土足で踏み込んで、ぐちゃぐちゃにして行った人だから。
私が一体何をしたというのだろう?
なぜこんなに傷つけられなくてはならなかったのだろう?

理由がわからないうちは、された行為に対しての理解に苦しみ続けることでしょう。
前向きの人は傷つきながらも、何とか解決の糸口を見つけようと考え、悩みます。
そして悩み疲れて、原因を探すのを止めた人は、一時期は穏やかに過ごすことが出来るでしょう。苦い体験を頭の中から外すことができれば、もう苦しい感情に浸る必要がないからです。

けれども、決して解消されているわけではないので、何かをきっかけにまた痛みが蘇ってしまう可能性もあるでしょう。

感情をクリアにしたい。
そう願っているのに、どうして人は人を許すことがなかなか出来ないのでしょう?

私は何も悪くないのに酷いことをされた。だから酷いことをした人が、全て悪い。
私は何ひとつ悪くないのに傷つけられた。だから傷つけた人が、全て悪い。

もし、あなたの中にこういうプログラムが組まれているようならば、あなたはこれからも誰かから傷つけられ続けることでしょう。
そしてその度に“許せない心”を呼び起こすことになるのです。

全てを善と悪に分けて判断を下す癖を、見直してみませんか?

確かにあの人は悪い。けれども、この苦い経験を通して私は少し打たれ強くなった。
だとすると、あなたの考える[悪]の全てがマイナス面ばかりではないことがわかるでしょう。むしろ取り方によっては、成長を促すための[プラス要因]として働いてくれるともいえるのです。

あなたが悪いと感じているものを、いま急に許すことは出来ないかもしれません。
けれども、[悪い出来事]を[成長促進剤]に置き換えて考えることはできるはずです。
自分を磨くための高いレッスン代を払ったと思えば、あなたの心も少しは軽くなれないでしょうか。

すべては意識の角度を少し変えてみるだけです。

三角形の角ばかりを見て気にしていても、何の解決も起こりません。
三角形の中にある、見えない丸を探し出せたとき、一回り大きくなった自分がそこにいることでしょう。

さぁ、そろそろ意識の扉を開くときです。

Chie

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